K.G.R

【KGR】真夏のアムステルダム紀行。「Kiss the moon – by Beatnicster」

オーディオトラック対応により、本格的なDAWに進化したKORG Gadget。

出だしの頃は「インスタントにダンストラック作りを楽しめるiOSアプリ」と言ったところでしたが、今では各種シンセやドラムマシンが充実し、サンプラーなど様々なツールを活用して幅広いトラック作りが可能になりました。

ところが人は、あまりに選択肢を与えられすぎると、どれに手をつけて良いのかわからなくなる時があります。

皮肉な話ですが、美味しそうなご馳走の数々を前にすると、どれを平らげて良いのかを選べなくなってしまうんですね。

かの鬼才、スクエア・プッシャーことトム・ジェンキンソンも、

少ない可能性の中で働くのが好きだね、僕は。可能性が多ければ多いほど、人間はフォーカスしにくくなるんだ。

【出典】

と言っていて、大いに頷いたものでした。

彼はベースの名手でもあるのですが、それ以外の機材は8chのMTRとアナログシンセ、あとは僅かなメモリ容量しかないサンプラーだけで、あのドリルンベースをやっていたようです。

いかに限られたマシンで、己を追い込んでいけるか。

そんなことを思い出す、iPhone SEとKORG Gadgetだけで制作されたトラックを先日発見しました。

Kiss the moon – by Beatnicster 

筆者的には、真夏の昼下がりのような気だるい雰囲気が、このトラックの持ち味だと感じます。

KORG Gadgetのデモソング”Gadget World Tour”で使われた、あの印象的なシンセパッドが大活躍。

限られた機能を駆使してプリセットサンプルに音色変化を持たせ、まるでコラージュするかのようにトラックを形作っています。

基本ミニマルな曲展開も、巧みなミュートづかいのせいか程よい起伏がありますね。

制作環境について

作曲者のBeatnicsterさんに、制作環境などを伺いました。

【ハードウェア】

iPhone SE

【ソフトウェア】

KORG Gadget

昨今のトラックは、iOSだけでやるにせよ”Audio Copy”や”iVocaloid”など、他のアプリとの連携がしばしば行われます。

しかしこの曲は、本当にKORG Gadgetだけで制作されていて、しかもその音源は”Amsterdam”ただ一つ。

このAmsterdamを、12台ほど用意して作られたとのことです。

「ポン出しガジェット」Amsterdamとは?

Amsterdamは、他のシンセ系ガジェットとは趣を異にしています。

オケヒット、スクラッチや短いブラスのフレーズなど、既存のレコードからサンプリングされたかのようなワンショット系サウンドを100種類以上プリセット。

サンプルはAmsterdam1台につき4パートまでアサインでき、それぞれにレベルフェーダーとPANと、叩くと音の出るパッドが装備。

パートごとにピッチとディケイが設定でき、サンプル加工のための機能は一通りあって、リバースも可能です。

最後にエフェクターでサウンドを整え、サウンドエディット完了。

これが”PCM SFX Boombox”ことAmsterdamでの音作りです。

テクニックについて

さて、この曲では既存のプリセットサウンドをどのように料理されたのでしょうか。

具体的な手法を伺いました。

ドラム

Beatnicsterさんによると、まずAmsterdamのサンプルからEQやフィルターを使って、ドラムキットを組みなおしたとのこと。

インパクトのあるドラムですが、一方ではリアルタイムに音色変化をつけるエディットが繊細に行なわれており、これがビートに起伏をもたせていたのですね。

またスネアにフェイザーをかけ、全体感を調整されています。

ギター・ベース

ギターやベースなどは、プリセットサンプルからコード進行を考えるというアプローチのようです。

しかし「この音は欲しいけど音程が合わないというものが当然出てくるので、耳を頼りにピッチの調整をしています」とも。

つまり鍵盤を持たないAmsterdamにおいて、外れた音一つ一つに対しTUNEノブで調整しているのですね。

ほとんど致命的な制約であるにもかかわらず、チカラワザ的手法をもって、困難な課題をクリアされてます。

脇役を主役に据える「密室劇」

本来的には、メイン・トラックを飾る「飛び道具」的存在であるはずのAmsterdam。

ところがこのトラックは、そんな脇役を堂々と主役に据え、しかも一人芝居に挑戦させています。

この試みを行った動機について、Beatnicsterさんは、

サンプラーがなくてもこういう音楽は作れるという事を単純に試したかった事と、ガジェットを1種類にするような縛りを設けて作曲能力の向上を図りたいという事が、主な制作理由です。

なるほど。はじめに紹介したトム・ジェンキンソンの哲学に通じる、ある意味ストイックな音楽観から生まれたトラックのようですね。

極めて限定された制作環境の中、出来うる限りの手段を駆使してソングライティングを行う。

演出家の腕や工夫次第で、演者の乏しい密室劇でも優れた作品を制作できることを、このトラックは私たちに教えてくれています。

この「アムステルダム縛り」という試みは、機材も情報も膨張飽和する今だからこそ、意義のあるチャレンジだと思えてなりません。

それではまた。Have a nice trip!

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